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古代には中国の勢力が浸透して郡県が設置されたこともあったが、晋代には再び後退し、諸民族が分立した。唐代には南詔が出現して統一王国を形成し、宋代には大理国がこれに代わった。大理はモンゴル帝国のクビライに征服され、名目的には元の雲南行中書省が置かれたが、フビライの庶子フゲチを祖とする梁王家の世襲の所領とされた。フビライが設けた三大王国、二小王国のうちの後者の一つである。この梁王国は、大理の旧王家段氏の協力のもと、1390年までこの地を支配し続けた。明の洪武帝により梁王国が滅ぼされた際、段氏は梁王家を裏切り、その功績により再びこの地の王として復帰し、大理王国を復活させようと目論んだ。しかしこの地の東アジア有数の銀山に目をつけていた洪武帝は、この地の統治を段氏に委ねることを拒否、この地を併合して直接支配下に組み込み、南詔以来の独立王国の歴史は終焉を迎えた。明代には雲南布政使司が置かれ、清代に雲南省が成立した。明代以後、漢民族が大量に流入して多数を占めるようになり、漢民族の地になった。清は、「改土帰流」政策をとり、少数民族地区にも流官を配して、中央集権を強めようとした。JDcwww.kmotctravel.com
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1911年、辛亥革命に前後して、昆明に「重九起義」がおき、清の雲南統治、雲南府を倒し、昆明県を省都とした。日中戦争では、軍が前線に赴く一方、内地や沿海部の工場、機関、学校、金融機関などが昆明に移り、抗日戦の大後方として大きな役割を果たした。1949年、平和裡に解放され、今日に至る。JDcwww.kmotctravel.com